2018年11月27日

誰も教えてくれない「休み方」

 10月のお知らせで「睡眠」について書きましたが、私が塾を始めて気が付いたことで、それ以来ずっと気になっていることがあります。それは、大人たち(学校・部活動・親)は、何か(勉強や、部活動、スポーツ、音楽など)をすることは勧め、頑張ることは教えてくれるけれど、「休み方」はだれも教えないということです。疲れた時には「休む」ことより、「もっと頑張れ!」「甘えるな!」「自分に負けるな!」などと、もっと頑張り続けることを勧めることがほとんどです。

 一人一人の大人は、その子のことを思ってアドバイスしているのですが、アドバイスを聞いている子どもは一人です。大人の人数分だけアドバイスを聞いてしまうと、どの子も、どのアドバイスにもきちんと答えなければいけないと思っていることが多いですから、やることが増えてゆき、時間の余裕は少なくなります。私は生徒たちから、「試験に間に合うために数学の勉強はどうすればいいですか?」と聞かれることがよくあります。その生徒の実力と、目標について知らないと適切なアドバイスができません。しかし、それがよくわからないまま話をしなければいけないことがよくあります。そんな時は、一般論として試験までにやらなければいけないと思われるテキストの量と、試験までの時間を考え、一日これくらいはしなければいけないという一つの基準を示します。

 それはアドバイスというより単純に日割り計算です。ですから、誰にでも答えることができるアドバイスです。その生徒は、同じ相談を受験科目の数だけ教師に相談しています。どの教師もその人なりに生徒の様子を考え親身に答えてくれているように私にも見えていますが、全ての科目のアドバイスを聞き終わったとき、生徒の勉強の量・時間・配分、を生徒の学力や、生活状況に応じてプランをたてるひとはいません。生徒一人で考えなければいけないのです。プランをたてる時に大切なのは、自分の体・心にあったペースを見つけることです。いくら考えたってわかりませんし、成功者の受験勉強のやり方を教える本をいくら読んだって自分に合ったプランは見つかりません。どれも一つのプランであり、仮説でしかありませんから、勉強をしながら自分にあったペースを感じ取ってゆくしかないのです。

 ペースづくりで、大切なのは「体を休めるペース」です。しかし、「休むこと=怠けている」という空気がありますし、自分も「休む=サボっている=だらしない自分=目標に届かない」と思いがちです。しかし、疲れているときには、どんなに頑張っても、集中できず、体に入ってきません。効果のない時間が続きます。度が過ぎると、体に異常が起きます。頑張っているのに効果が上がらない悪循環が始まります。大人たちもみんなこういう経験をしてきたはずですが、「休み方」を教えることができません。自分の答えは体と相談しながら答えを見つけるしかありません。
posted by 池見 at 16:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

ブラックアウトからホワイトアウト?

 先日、中学生の不登校の相談に乗る機会がありました。私は30数年前息子が不登校(当時は登校拒否と言っていました) をしていたときのことを思い出しながら話を聞いていました。当時は、子どもが学校に行かなくなるのは、親のせいと言われていましたし、卒業・進級ができないケースもあり、親も子もびくびくしていました。子どもが学校に行かなくなる理由は、すべて親の責任で、学校を見直し、変わることなど全く考えられませんでした。(私も小学校の校長から、卒業できないとか、市の教育委員会から、あなたは国民の義務違反だから裁判に訴えると言われました)。しかし、その後も不登校の生徒が増え続けたため、文科省も取り組まざるを得なくなりました。その後、「不登校は、だれにでも起こりうる」という認識が生まれ、親だけの責任ではないという認識が広まり、卒業・進級もスムーズに出来るようになったと記憶しています。

 中学を卒業した後の進学についても、通信制高校やサポート校などの受け皿が全国にたくさんでき、お先真っ暗の状態(ブラックアウト)から、先が見えるようになったのです。

 そのころから、私は不登校の相談に乗ることはほとんどなくなりました。不登校の数は減ったわけではないので、親子が相談するところもたくさんできたのだと思います。その後、少子化は進んでいましたし、文科省もいろいろ不登校対策(?)に取り組んでいましたから、私は、内容はともかく少しずつは環境が良くなったように思っていたのです。子どもが少なくなったということは、相対的に大人の数のほうが多くなっているのですから、社会としては、今までより多くの大人たちで子どもを支えることができるようになったはずなのですが、逆に財政再建が叫ばれ、学校現場では、教師の数がどんどん減少させられました。教師以外の大人たちも、労働環境が厳しくなり、子どもたちをゆっくり支える余裕がなくなってしまいました。

 そして、社会にはカウンセラーやカウンセリングシステムが普及し、子どもが学校に行きたくなくなったり、行かなくなったとき、子どもに寄り添い、子どもの心を理解するのは、教師や親の仕事ではなくなったようです。30年という時間が過ぎて変わったのは、経済活動(教育サービス、システム)だけで、子どもの心を理解し、寄り添い支える大人は生まれてこなかったようです。

 私は、世の中が大きく変わったと思ったのですが、学校とミスマッチの親子は、孤立させられ、先が見えない状況が変わらず続いているようです。30年の時間で、真っ暗な闇(ブラックアウト)は、明るい昼間になったと思ったのですが、そこはホワイトアウト (雪や雲などによって視界が白一色となり、方向・高度・地形の起伏が識別不能となる現象。) だったようです。
posted by 池見 at 15:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月28日

睡眠

 最近はTVのCMや新聞広告で、睡眠導入剤の広告を見かけることがよくあります。また、本屋さんに行けば、「良い睡眠・悪い睡眠」とか「睡眠は一日○○時間で十分」とか「頭の良い人の睡眠法」などと言うタイトルの本もよく見かけます。こんなに睡眠に関する情報があふれているということは、世の中には睡眠のことで悩んだり、困っている人がたくさんいるということなのだと思います。確かに、最近の労働条件・環境は、私が若かったころと比べてとても厳しくなったように思います。労働時間が長かったり、労働単価が低かったり、労働内容が濃密だったり、より単純になったり。そして、人間関係も複雑(?)というか、薄っぺらになり、仲間ができにくかったり、話をする相手もいなくて孤独になっているようです。私の子どたちの職場の話を聞いても、世の中のサラリーマンは皆大変なんだなと思っています。

 私は、幸せなことに、マイペースで仕事をすることができていますので、睡眠について考えることはないのですが、最近睡眠で悩んでいる若者が多いことに気が付きました。ある日「授業中にすぐ眠くなってしまうので何とかしないといけないと思って、自律神経を直す本を買ってきました」と突然私に話し始めた生徒がいました。彼は、いつも眠くなっても頑張ってノートをとり、講義を聞こうと努力をしているけれど、いつの間にかウトウト・・。ノートの字はミミズが這ったようになり、授業が終わったときには先生の話も全く頭に入っていないと言います。ですから、何とかしなければと真剣に考えているのです。

 また、私が出勤した時(11時ころ)に机に突っ伏して眠っている生徒もいます。「どうしたのかな?」と思い、スタッフに聞くと、「彼は毎朝始業時に必ず登校しているんだけれど、今の時間になるといつもあーなんです。」と言います。毎朝きちんと登校することはよいことなのかもしれないけれど、私は「もっとゆっくり寝てからくればいいのに?」と思いながら見守っています。彼は、「今朝は、いつまでも寝てるんじゃないわよ!と怒られました。」と話してくれた時がありました。

 また、別の日「最近、全然寝れないので医者に行こうと思って、インターネットで睡眠外来を調べたのですが、数か月先まで予約でいっぱいで断られました。仕方がないので別の病院に行ったら、不眠症だと言われ、薬をもらってきました」と話した生徒もいます。

 私は、彼らの話を聞いていて「若者たちに何が起きているのか」とても気になり、心配です。「寝る子はよく育つ」と言われますが、何が彼らから健やかな睡眠を奪っているのでしょうか?そして今の社会は大人だけではなく、若者たちも「睡眠について」悩む状態になったようです。
posted by 池見 at 17:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする