2018年07月01日

今月、気になった言葉

まず、映画「万引き家族」から

@ 「家で勉強ができない子どもが、学校に行くんだよね。」
つながりのない者同士が作る家族の中で、息子の立場にある、小学生の年齢の翔太は、いつも本を読んでいる。近所の学校に通う小学生を見て言ったセリフ。
以前、お笑い芸人のひとりが「社会に出てもまだ役に立たない者が、学校(大学)に行くんだ。義務教育が終わった時点ですでに役に立つ者は、社会に出て働いているよ」と話していたことを思い出しました。

A 「捨てたと言われるけれど、私の前に捨てた人がいた。私は拾ったんだ。」
一緒に暮らしていたおばあさんが死んだときに、死体を隠したことを「あなたのやったことは死体遺棄です」と刑事に言われたときに、「私は捨てていない」と主張した言葉。何のつながりもなかった者同士が疑似家族を作っていった経過を説明しているこの言葉は、「捨てる」「保護する」「共に暮らす」などの言葉を問い返す重い言葉だ。

B 「おとなが、あんたのことを好きだから叩いたって言うのはうそだよ、本当に好きだったら、こうやってギュウと抱きしめるんだよ」
虐待(ネグレクト)で見捨てられていた女の子と一緒に暮らすことを決めた母親(?)が、女の子を抱きしめながら言った言葉。なんの解釈も説明もいらない言葉。思わず「そうだ!」とつぶやいた。

次に、今話題のサッカーワールドカップの話の中で語られた言葉から

C 「学校の部活動の中からは、優秀な生徒ばかりが育っている。部活動の中からはスターは育たない。」
これは、日本のサッカープレーヤーの中に、世界の一流チームから注目されるスターが育っていないということに対する、解説のセルジオ越後さんの言葉。最近では、日大のアメフト部の騒ぎが思い出されます。
我が国のスポーツのほとんどは、軍隊教育、学校教育の中から生まれてきました。教育には、目的がありますから、優秀な生徒が生まれているのは、その意味において成功しているとも言えるのですが、今や、スポーツは、教育の枠を超えて、庶民や若者たちの夢を実現するエンターテイメントになりました。学校教育の中ではまだ行われていない新しいスポーツでは、世界の一線で活躍している若者たちが次々出現しています。最近生まれたスポーツの中には、先生(指導者)なんているの?と思うこともあります。
posted by 池見 at 14:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

電車の音

新しい場所に引っ越してから、電車の音が聞こえるようになりました。おそらく線路まで数十メートルだと思います。昼間は特に何も感じませんが、夜遅く一人でいるときに聞こえてくる電車の音は、いろんなことを思い出させてくれます。

私が生まれ育ったところ(北海道室蘭市)では、家にいて電車(汽車)の音が聞こえなかったのですが、よく遊んでいたところのすぐそばには線路がありました。線路の石を動かすと、やもりが出てきて驚いたり、線路わきに寝そべってレールに耳を当て、トンネルの向こうのほうから、「ゴトンゴトン」と汽車が動いている音を聞くのが好きでした。もちろん、音が聞こえたらすぐ逃げるんです。

線路は、今自分がいるところから、自分をどこか遠くに連れて行ってくれるものだったり、自分のいる世界のほかに、別な世界があり、その世界に通じていることを教えてくれるものというイメージがあります。夜遅く暗くなり、だれもいなくなった駅のイメージは、特に思い出はないのですが、好きでした。きっと、子どものころ見たり聞いたりした絵本やお話や映画などから植え付けられたのだと思います。なぜか、「ここから自分は外の世界に旅立ってゆくんだ」「自分が旅立つときはここに来ればいいんだ」という気持ちになっているんです。

塾生がいなくて私一人でいるときに、電車の音が聞こえてくると、子どものころに感じていたこんなイメージが湧いてきて、少し「わくわく」した気分になっているのです。引っ越しをしてこんな気持ちを味わうなどとは夢にも思っていませんでした。私はこの歳になってまだどこかに旅立とうとしているのかな?それとも、もう旅立つことはなくなったからこんな思い出に浸っているのかな?なんてまたいろいろなことを考えてしまいます。

でも、レールはだれかが野山を切り拓いて、敷設してくれたものですし、誰かが、日々メンテナンスをしてくれているものです。そしてその上を走る汽車(私のイメージは鈍行の蒸気機関車)も誰かが動かしてくれなければいけません。今は汽車がディーゼルになり、電車になり、普通・準急・快速・急行・特急・新幹線とスピードも様々です。レールの先には、船の航路があり、飛行機の航路もあり、地球は無限に広がる世界から、ひとつの世界になってしまいました。もう少しすると宇宙への航路もできるとか。そうなると、一体どんな世界を想像することができるのでしょうか?

現代は、人は想像から、一つ一つ具体的なものを創造してきました。人工知能が、支配する社会がすぐそこに来ているとも言われ、今や私の想像をはるかに越えた世界が次々現れています。そんな世界にも、私のレールはきっと繋がっているのでしょうが、私にはまったく見えません。
posted by 池見 at 17:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月27日

一か月かかる解約手続き

引っ越し前に電話をかけるだけでは済まないことが、一つだけありました。それは、NHKの受信料の解約でした。引っ越しが決まったので「月末でTVを撤去するので解約したい」と電話を掛けました。同じ情報インフラの新聞や、JCOMは、一度の電話で終わりましたが、NHKはまず「撤去するといってもTVは、家電リサイクル法に従って処分しなければいけませんので、電気店などで証明する書類をいただいてから電話してください」と言われました。でも、その時は買ってからまだ3年のTVですから、だれかほしいという人がいれば譲ろうと思っていたので、「ほしいという人に譲る場合はどうすればいいんですか?」と聞きましたが、その場でははっきりとしたことは言ってくれませんでした。そして「とにかくTVを撤去してからもう一度お電話してください」ということで終わりました。

TVは、引っ越しを手伝ってくれた人の中に欲しいという人がいたので譲りました。ですから手元には電気店で適正に処分したという証明は残りません。でもTVはなくなったので、電話をしました。すると「どなたに譲ったのですか?お名前とか住所はわかりますか?」と言います。「わかりません」と言うと「それでは、西東京地区担当の者が後日電話で確認します。お電話はいつすればよいですか?」というので日時を決めました。約束の日に電話がありました。「どなたかにTVを譲ったので受信料の解約を希望されていると聞きましたが・・・・。譲られたTV以外の受信機はお持ちですか?TVが受信できるパソコン周辺機器は?携帯電話は?」と次々聞きます。私はどれも持っていません。するとやっと「それでは、これから解約手続きの書類をお送りしますので、署名捺印のうえご返送願います。その書類がこちらに届いたら解約の手続きをします」とのことでした。結局、解約の書類が手元に届くまで約4週間かかりました。

NHKの受信料は、自分が希望しなくても、機器を持っているだけで契約を強いられ、拒否すれば裁判に訴えられることは知っていました。最初に電話をしたとき、HPからでも手続きはできると知ったので、HPを開いてみましたが、私には解約のページを見つけることができませんでした。 昨年末には最高裁判所の判決がでました。受信機器を持っていればNHKを見たくなくても、見ていなくても、契約は義務であるという内容でした。我が国では、相互の自由な意思によって成立しているはずの契約が、契約の意志がなくても義務付けられることがあるんですね。
posted by 池見 at 13:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする