2017年12月26日

「冬至」に「かぼちゃ」!?

12月22日は、冬至です。冬至とは一年の中でもっとも日照時間が短い日のことですが、昔から「冬至にはカボチャを食べるもの」と言われてきました。私もいつのころからか、なぜそうするといいのかわからないまま、そうするもんだと思ってきました。今日TVを見ていたら天気予報の中で、その意味を説明していました。

古代中国では、冬至は、一年でもっとも太陽の力が弱まる日ですが、以後は再び太陽の力が強くなる事から「一陽来復」といって、この日を境に運が上向くと考えられていたそうです。ですから、冬至の日は一年の終わりであり、始まりであることから、太陽復活の日と考えられ、めでたい日だったそうです。そして、そのおめでたい日に、さらに運がよくなるように「あ」から始まる五十音の最後が「ん」であることから、「ん」がつく物を食べていたというのです。これを「運盛り」というそうです。特に食べられていたものは、れんこん、だいこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、かんてん、うんどん(うどん)です。でも、かぼちゃには「ん」が付いていません。「どうして?」と当然思いますが、かぼちゃは漢字で書くと「南瓜」と書きます。すなわち、なんきん、で「ん」が2つ付いているのです。「なるほど!」これでカボチャを食べる意味は分かりました。

そういえば、私が毎年年末に早稲田の穴八幡神社で求めているお守りがあります。私がお守り?と思われると思うかもしれませんが、塾を始めてから数年たったころ、塾仲間の一人が、私の塾の経営状態を心配して、「これを飾っておくと、お金が回るから」と言って穴八幡のお守りをプレゼントしてくれたのです。その時以来、毎年年末に穴八幡神社に行くようになりました。そのお陰で(?)塾が倒産することなく35年も続けることができた(のかもしれない)と思っています。そして、そのお守りには「一陽来復」と書いてあるのです。私は「なんとなく縁起がいい言葉なんだろう」思うだけで、その意味を考えることなく今まで過ごしてきましたが、恥ずかしながら今回その意味を知ることができました。

「そうか、太陽の力が一番弱くなった日から、再び強くなり始めるのか!」最近は、いやなこと、心配なこと、マイナスの感情になることがたくさん続く世の中です。もう「お先真っ暗」という気分になるこの頃なのですが、「冬至」の後は「太陽の力が強くなる」のだから、きっとこれからは明るくなるのかもしれません。そう考えると少し元気が出る気がします。しかし、この話は自然界の話です。自然界では「水は高いところから低いところに必ず流れる」し、「明けない夜はない」「日は必ず東から昇ります」人間社会でも同じと言い切れるのでしょうか?人間社会に目を向けてみると、何年も、何十年もつらく厳しい生活を強いられている人たちがたくさんいます。人間が作り出した社会には「開けない夜もあったり」「水は高いほうに流れたりする」こともあるのかもしれません。人間も自然界の中の一つの生き物なのだから、人間が作り出した社会も、時間の違いはあっても、自然界のように「太陽の力が強くなる時が必ず来る」と思いたいものです。
posted by 池見 at 19:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

高校を卒業しても働けない社会

2017年度の大学や高等教育機関への進学率は、過去最高の80.6%になったそうです。20年前は67.4%でした。さらに20年前を見てみると50%ぐらい、私が中学生だったころまでさかのぼってみると20%ぐらいでした。私が中学生だったころは、高校に進学したい人はみんな進学できるようにと「高校全入運動」がおこる時代でした。ですから、私の記憶では、中学3年のクラス(50人)で3分の1くらいの人は卒業と同時に会社に就職していましたし、高校を卒業したらほとんどの人が働き始める状態で、大学まで進む人はほんの数人程度でした。今では考えられない話です。

一見「進学したい人が皆、高等教育を受けることができる世の中になってみんな幸せになったね!」と言える世の中になったのですが、よく見るとそうとも言えないことがたくさんあります。まずひとつは、みんなが進学するようになったため、「進学したい」という意味が変わってしまいました。昔は「勉強が好き」という意味で使われていましたが、今は、「勉強が嫌いでも、みんなが進学するから自分も進学しなければまずい、と受け止めている」という意味になりました。そうは言っても昔の人たちはみな「勉強がしたい」と本当に思っていたかと言うと、「何をしたいかわからないけれど、いい会社に就職したい、給料の高い仕事につきたいから進学したい」、など本来の「真実を知りたい、もっと深く知りたいから勉強したい」という意味とは違う思いがあったのも事実ですから、「今の若者たちは、考える力、知ろうとする意欲がない」など勉強に対する姿勢について批判する言葉については、「昔からですよ」と言わざるを得ません。

そんな目先の損得にこだわった勉強をしていても、「読み・書き・そろばん」ができるようになってさえいれば、働き始めたとき、若者たちに対して「学力がない」などと批判の言葉はありませんでした。仕事とはみな初めてするものでしたから、初めて行うことに対し、一から学ぶ気持ちがあればよかった、ということだったのだと思います。そして、どの職場にも必ず、仕事を一から教える人が存在していました。学校での勉強と社会で要求される能力はそもそも違っていますから、学校での成績などが、即、仕事に反映することはあまりなかったのです。

しかし、現代の社会は、若者たちに「即、戦力」を求めるようになりました。今の職場には一から仕事を教える人がいませんから、学校では、仕事ですぐ役に立つ勉強はほとんど教えることができないのに、若者たちは、即戦力になるために、さらに教育を求めるしかなくなりました。会社が当然やらなければいけない仕事をさぼっているのに、若者たちに「一人前になってからおいで」と言い、政府は「一人前になるのは、自己責任だよ」と言い、会社を正すことなく、高校を卒業しても、さらに進学するよう後押しています。(これは何のためなの教育なのでしょう?)
posted by 池見 at 18:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

人と出会えない・・・?

一月ほど前、塾のTVが映らなくなりました。正確に言うと、契約したサービスを受けられない状態になったというべきで、地デジ放送だけしか映らない状態になったのです。取扱説明書を読んでみても、設置方法や操作の仕方についてしかわかりません。契約時の書類を調べてみても起きているトラブルについてヒントになることはどこにも書いていませんが、お客様サービスのフリーダイヤルを見つけたので、すぐ電話をしてみました。

すると、機械音で「ただいま電話が込み合っています。そのままお待ちになるか、かけ直してください・・・・・」。仕方がないので数時間後にかけ直してみましたが、また機械音で「ただいま電話が込み合っています・・・・」。時間も遅くなったので、諦めもう一度書類をいろいろ探してみました。するとインターネットでも問い合わせができることを知り、パソコンでやってみたのですが、自分に起きているトラブルをどう伝えたらよいのかわからず手が止まってしまいます。すると、「お客様からのよくある質問」というページに出会いほっとしたのですが、そこに書かれている質問のどれが私の内容と同じなのかわからないので、また手が止まってしまいます。「もう無理」と諦め、数日後にもう一度電話をしてみたのですが、また機械音で「ただいま電話が込み合っています・・・」。サービスを受ける契約をし、毎月きちんとお金を支払っているのに、そのサービスを受けられないのは理不尽ですが、どうすればよいか私にはわかりません。もう一度契約書の入ったファイルを調べてみたら、契約時に設置に来てくれた作業員の名刺がありました。「こうなったら、この人に手紙を書くしかない」と思い早速ペンを取りました。

数日後、留守電に「塾におられる時間にかけ直します」との伝言が入っていました。やっと連絡が付きました。それから数日後やっと状況を説明することができ、担当者を向かわせますということになりました。それから、さらに数日たって、
担当の人が塾に来てくれました。私は、ひそかに「こうやれば映りますよ!」と言われるのではないかと心配していましたが、その人は、計器を取り出し、電波の状態を調べ、工具を出し、機器をつないでいるケーブルを外し始めました。思わず私は、「私の操作が間違っていたということではなかったんですか?」と聞きました。「えー、このケーブルが悪さをしていましたので、取り換えなければ映りません」と言われ、「ほッ」としました。

サービスを受けられなくなってから約一月、ずっと「自分の操作が間違っていたのではないか」という不安を抱えながら、理不尽な状態が続きました。最初に人と話をすることができれば「自分の操作が・・・?」と感じることもなく、数日で済んだはずのことが一月もかかってしまったのです。こんな社会ってなんか変ですよね。
posted by 池見 at 14:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする