先日OGが「また数学教えてもらえますか?」と突然言ってきた。彼女は大学(社会科学系)進学し数学とは縁が切れたと思っていたので私は「構わないけれど、大学の授業で数学が必要になったの?」と聞いたら「いや就活で・・・・」と言うので「えっ!」と驚くと「だって今年3年になったんですよ」なるほど、世間で言われている『就活』の話だった。彼女はまだ本気になれないけれど、何もしないわけにも行かないので、とりあえず公務員試験を受けようと思っているという。公務員試験には一般常識試験の中に数学分野の問題があるので、助けてほしいということだった。
先日、公益財団法人「日本生産性本部」が、今春入社した新入社員を対象に行った『2012年春・若者意識アンケート』の結果が発表されていました。(回答者2089人の内訳:男性77.0%女性23.0% :従業員数〜299人 13.4% 300人〜86.6% :志望順位 第一76.2% 第二14.3% :最終学歴 4大卒48.7%大学院卒21.9% 高卒16.4% 高専2.5% 短大3.7%)
そのアンケートの内容を見て私が気になったことを書き出してみた。
『海外勤務のチャンスがあれば応じたい』 そう思う(54.5%)そう思わない(45.5%)
『若いうちならフリーアルバイターの生活を送るのも悪くない』
そう思う(22.7%)そう思わない(77.3%)
『条件のよい会社があれば、さっさと移るほうが得だ』
そう思う(23.5%)そう思わない(76.5%)
『将来への自分のキャリアプランを考える上では、社内で出世するより、
自分で起業して独立したい』
そう思う(12.5%)そう思わない(87.5%)
『人より多く賃金を得なくても、食べていけるだけの収入があれば十分だ』
そう思う(34.2%)そう思わない(65.8%)
『当てはまるもの1つだけに○をつけてください』
@「今の会社に一生勤めようと思っている」(60.1%)
A「きっかけ、チャンスがあれば、転職してもよい」(26.6%)
B「現在、ぜひ転職したい」(0.3%)
C「いずれでもない・わからない」(13.0%)
一方で厚生労働省が、雇用保険被保険者の記録から調査した『新規学卒就職者の在職期間別離職率』 (平成20年度)が公表されています。それによると、大学卒1年目の離職率12.2%、2年目が9.5%、3年目が8.3%となっています。就職は個人の努力ではなく、景気に左右されるものです。出来る限り世の中に振り回さずに決めてもらいたものです。
2012年04月28日
2012年03月28日
「諦めるな!」と言うけれど・・・?
昨年の女子サッカーワールドカップで『なでしこジャパン』が優勝してから、『あきらめないで頑張り続けること』が人生で一番大切であるかのように言われるようになりました。その言葉の背景には、『絶対に諦めない』と心に誓うだけではなく、どんなときも休むことのない努力が必要です。確かに彼女たちの姿勢と優勝という結果に多くの人が感動し、勇気・元気をもらったので、この言葉に異論や違和感を覚える人はあまりいなかったと思いますし、私もそのときは「その通り!」思いましたし、優勝できたことにうれしさ・喜びも感じていました。しかし、震災からの復旧・復興の話で、必ずみんなが『諦めない』という言葉をいつも耳にするようになりました。もちろん私も、復旧・復興に取り組み精を出している人たちに対しては100%共感していますし、応援する気持ちがあります。でも、私は最近『諦めない』という言葉に、違和感を覚えるようになってきました。
その理由は、自分はそのスポーツをしないで応援しているスポーツのファンのように、頑張っている人に対して「諦めるな!」と言っているような気がするからです。その声は、なにか「諦める」のは悪いこと、間違っていること、だらしないことのように聞こえてきます。でも、少し落ち着いて振り返って考えてみてください。これまで頑張り続けたけれど受験競争・サラリーマン(企業戦士)の競争などに負けたり、アスリートがプレッシャーとの戦いの中で傷ついたり、時には命を落としたことがたくさんありました。たいていの場合彼らは「諦めるな!」という声に押され戦っていました。私は「みんなが最後まで(?)頑張り続ける」ことが本当に大切なことなのか?未来を切り拓くことなのか?考えてみたいと思うのです。
そのヒントになることが、先日TVを見ていたとき生物学者の福岡伸一さんが話していました。その話は『働きアリ』の話です。(この話は、福岡伸一著『動的平衡2』木楽舎 に載っていました)私たちは『働きアリ』はみんな一生懸命働いていると思っていますが、そうではないと言うのです。アリの集団をじっと見ていると一部のアリがサボっているそうです。そこで、働くものだけを取り出した新しい集団と、サボっていたアリだけで集団を作ってみると、どちらの集団も一部のアリはサボり、一部のアリは働き始めるのだそうです。働くアリとサボるアリの割合はどちらも同じ程度になるそうです。なぜ全員が働く集団が出来ないのか?不思議になりますが、このアリの実験をしたのは生物学者の長谷川という人だそうですが、彼は「働かないアリの存在に意義がある。それは、遊軍を作っている集団は、いざというとき(危機)に対処しやすい」と言っていると言います。しかし、その「いざ」というときはいつやってくるかわからないのです。すぐかもしれないし、遠い将来かもしれません。そこで「アリはいざというときに役立つ組織・仕組みを作っている。つまり、このことから生物の集団が未来に起こりうることを想定して、それに対応した仕組みに進化させているのではないか」という仮説を立てたそうです。私には、人間社会にも通じた話のように聞こえました。
2012年02月27日
子どもたちの学力低下問題を考える
私が塾を始めようと考え始めたのは、今から30年以上も前ですが、そのころ『教科書の内容が多すぎて教えきれない』と訴える教師がたくさんいました、そして話題になっていたのは『落ちこぼれ』で、学校の授業についてゆけない子どもたちがたくさん出現したと言われていました。また『7・5・3』という言葉も使われ、学校の授業についてゆけない児童・生徒が小学校で3割、中学校で5割、高校で7割いるということでした。最初は授業について来れないのは、子どもや家庭に問題があるという表現が多かったのですが、だんだん教える側の問題(教える量・教え方など)が原因だから授業について来れない子どもたちは教師によって落ちこぼされていると言えるので『落ちこぼし』という表現に変わってゆきました。
それから30年たった今、問題の対象が大学生にまで広がり、授業についてゆけない(ついてゆかない?)子どもたちのことが話題に上っています。この30年大人たちは何もしないで手をこまねいたのではありません。学習の内容を変えたり、いろいろなことをしてきました。しかし結果的に改善されたとは言えない現実が続きます。このことは一体どう考えたらよいのでしょう?私はまず大人たちが本当に子どもたちに勉強してほしいと思っているのなら、勉強を嫌っている子どもたちにきちんと話を聞くことだと思います。しかし、これは大人も子どもも人それぞれで大変なことになるのは目に見えています。というのは今の社会はまず『何のために勉強するのか?』という問いを立てなければいけないからです。そこで私は視点を変えて、本当に勉強嫌い・学力低下といわれる子どもたちはいつの時代でも一定数必ず存在しているのではないか?みんながわかる・勉強が好きになるなどありえないのではないかと考えてみる必要があると感じています。
そしてこの30年間勉強嫌いや授業について来れないこどもたちは社会に出てどうなったのか?本当に困った状態に陥ったのか?調べてみたほうがよいと思っています。案外みんな普通の大人になって普通に暮らしているのではないだろうか?ずいぶん前私は『学校の成績が悪くて餓死した人を見たことはない』と言ったことがありますが、今や『餓死』した人が現れる社会になってしまいました。これはとても心配の状態ですが、その原因が学力であるとは思えません。逆に学力の高い人たちが食べ物を独り占めにしてし、食べきれない食料を廃棄し、その一方で生活保護の支給を制限したりしているように私には見えます。先月の雑感で「社会に出たときに必要なのは、学力ではなく人間力」と書きましたが、私が学校生活の中で身につけてほしいと考えているのは学力の前に「人と楽しく暮らす」ことです。もちろん集団ですから人とぶつかり合って喧嘩やいじめがあることもありますが、みんなが敵になることはなく中には自分を助けてくれる人もいる、また時には好きな人がいたり誰かから好かれたりもすることがある集団生活を体験することが一番大切だと思っています。学力は生きる力につながるものでなければいけないと思います。
それから30年たった今、問題の対象が大学生にまで広がり、授業についてゆけない(ついてゆかない?)子どもたちのことが話題に上っています。この30年大人たちは何もしないで手をこまねいたのではありません。学習の内容を変えたり、いろいろなことをしてきました。しかし結果的に改善されたとは言えない現実が続きます。このことは一体どう考えたらよいのでしょう?私はまず大人たちが本当に子どもたちに勉強してほしいと思っているのなら、勉強を嫌っている子どもたちにきちんと話を聞くことだと思います。しかし、これは大人も子どもも人それぞれで大変なことになるのは目に見えています。というのは今の社会はまず『何のために勉強するのか?』という問いを立てなければいけないからです。そこで私は視点を変えて、本当に勉強嫌い・学力低下といわれる子どもたちはいつの時代でも一定数必ず存在しているのではないか?みんながわかる・勉強が好きになるなどありえないのではないかと考えてみる必要があると感じています。
そしてこの30年間勉強嫌いや授業について来れないこどもたちは社会に出てどうなったのか?本当に困った状態に陥ったのか?調べてみたほうがよいと思っています。案外みんな普通の大人になって普通に暮らしているのではないだろうか?ずいぶん前私は『学校の成績が悪くて餓死した人を見たことはない』と言ったことがありますが、今や『餓死』した人が現れる社会になってしまいました。これはとても心配の状態ですが、その原因が学力であるとは思えません。逆に学力の高い人たちが食べ物を独り占めにしてし、食べきれない食料を廃棄し、その一方で生活保護の支給を制限したりしているように私には見えます。先月の雑感で「社会に出たときに必要なのは、学力ではなく人間力」と書きましたが、私が学校生活の中で身につけてほしいと考えているのは学力の前に「人と楽しく暮らす」ことです。もちろん集団ですから人とぶつかり合って喧嘩やいじめがあることもありますが、みんなが敵になることはなく中には自分を助けてくれる人もいる、また時には好きな人がいたり誰かから好かれたりもすることがある集団生活を体験することが一番大切だと思っています。学力は生きる力につながるものでなければいけないと思います。

