2018年03月27日

一か月かかる解約手続き

引っ越し前に電話をかけるだけでは済まないことが、一つだけありました。それは、NHKの受信料の解約でした。引っ越しが決まったので「月末でTVを撤去するので解約したい」と電話を掛けました。同じ情報インフラの新聞や、JCOMは、一度の電話で終わりましたが、NHKはまず「撤去するといってもTVは、家電リサイクル法に従って処分しなければいけませんので、電気店などで証明する書類をいただいてから電話してください」と言われました。でも、その時は買ってからまだ3年のTVですから、だれかほしいという人がいれば譲ろうと思っていたので、「ほしいという人に譲る場合はどうすればいいんですか?」と聞きましたが、その場でははっきりとしたことは言ってくれませんでした。そして「とにかくTVを撤去してからもう一度お電話してください」ということで終わりました。

TVは、引っ越しを手伝ってくれた人の中に欲しいという人がいたので譲りました。ですから手元には電気店で適正に処分したという証明は残りません。でもTVはなくなったので、電話をしました。すると「どなたに譲ったのですか?お名前とか住所はわかりますか?」と言います。「わかりません」と言うと「それでは、西東京地区担当の者が後日電話で確認します。お電話はいつすればよいですか?」というので日時を決めました。約束の日に電話がありました。「どなたかにTVを譲ったので受信料の解約を希望されていると聞きましたが・・・・。譲られたTV以外の受信機はお持ちですか?TVが受信できるパソコン周辺機器は?携帯電話は?」と次々聞きます。私はどれも持っていません。するとやっと「それでは、これから解約手続きの書類をお送りしますので、署名捺印のうえご返送願います。その書類がこちらに届いたら解約の手続きをします」とのことでした。結局、解約の書類が手元に届くまで約4週間かかりました。

NHKの受信料は、自分が希望しなくても、機器を持っているだけで契約を強いられ、拒否すれば裁判に訴えられることは知っていました。最初に電話をしたとき、HPからでも手続きはできると知ったので、HPを開いてみましたが、私には解約のページを見つけることができませんでした。 昨年末には最高裁判所の判決がでました。受信機器を持っていればNHKを見たくなくても、見ていなくても、契約は義務であるという内容でした。我が国では、相互の自由な意思によって成立しているはずの契約が、契約の意志がなくても義務付けられることがあるんですね。
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2018年03月10日

新しい塾

先月のお知らせに「やっと心が決まりました。身の丈に合った規模で、自分の気持ちに正直なやり方でもう少しやってゆこうと。今の場所よりもっと駅に近いところで、「数学塾むれ」を必要としてくれる人たちの応援をしてゆこうと思います。」と書きましたが、幸いなことに探し始めてすぐに「ここなら、これからもやってゆけると思える物件と出会うことができました。35年前に6畳一間のアパートから始めたときのことを思い出しました。電話番号は変わりませんが、メールアドレスは3/5から変更になります。

新住所
〒180-0006  武蔵野市中町1-25-5  ハイツ杉山403号室
posted by 池見 at 14:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月30日

本当の<自分>は、見えない?

この表題は、ちょうど1年前の「塾のお知らせ」に書いた雑感のタイトルで、10歳の少年が書いた『見てる、知ってる、考えてる』という本に書かれていた文の一部です。この10歳の少年の言葉が、塾を始めて35年が経った私に、自分(塾)の本当の姿がきちんと見えているのか?問いかけているような気がしています。

塾を始めたころ、小学校の先生62%が「教科書の内容が多すぎて教えきれないと訴えている」と言われていました。そんな中で塾を始めるときに私が考えていたのは、「学校に毎日通っているのに勉強がわからなくなるのは、子ども自身の姿勢や態度の前に、先生が教えきれない状況があること」、「勉強(特に算数)は、ゆっくりわかるように説明すれば誰にでもわかるんだ!」と伝え、そして「学校での評価は、本当の学力を表しているのか?」と問いかけることでした。

それから35年が過ぎた今、学校・教育・子ども・親子・家庭状況は、相変わらずという面と、より混沌として、先行き不透明で不安や、辛さが増した感じです。なぜそのような社会になったのか?その原因はいろいろありますが、私は一番大きな問題は、社会の労働(雇用)問題だと思います。しかし、「塾」が担ってきたこと(社会の風潮をあおってきた面と、ブレーキをかけることができたのか、そしてまた、本当に子どもの応援になっていたのかなど)も見直さなければならないと思い、ずっと「塾がしてきたこと」「塾の役割は・・・?」と考えてきました。

まだまだ、自分(塾)の姿が見えません。自分の姿を見るには鏡が必要なのですが、どこにその鏡があるのか?私が手にすることができた鏡は、とても小さくて、一部分しか見ることができません。そして、考えていると、「これでは、だめ」「このままでいいと思うの?」というところばかりが見えるような気持になってきます。そういう気持ちになってしまうと、「見えた」わけでもないのに、だんだん「本当に見えた」という気持ちになってきます。それは,「自信」がないから起こるのだとわかっていますが、自分でコントロールすることはできません。「よし」と思えるところも全くないことはないのですが、それが「自信」にはなかなかつながりません。

しかし年度末になり、新年度を迎えるにあたって、答えを出さなければいけなくなりました。「生徒との出会いは楽しいし、まだやってゆきたい」という気持ちがあり続けるので、続けるための客観的条件があるかどうかだけの問題になり、やっと心が動き出しました。「自信」はありませんが、「身の丈に合った規模・スタイルで、自分にできることを一つずつやってゆく」と考えれば、「自分にできること」なのだから、もう少しやってゆくことができるはずと思えるようになりました。これから、内容を見直し、少し狭くなると思いますが、新しい場所で始める準備を始めます。
posted by 池見 at 15:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする