2019年01月28日

「なんか、イライラする」

 正月に孫(小5)と会った時「学校はどう?勉強は面白い?」などと、ありきたりの話をしているときに、「○○は、何をしているときが一番楽しい?」と聞くと「楽しいことなんて何にもない」と言います。私は「ぇっ」と思って、「楽しいというか、わくわくするというか、もっとやっていたいというか?」そんな気持ちになるときはどんな時?」言い直しました。「そんなことは何にもない。なんか毎日イライラする」と答えます。 10歳の子どもが毎日「イライラ」するとはどういうことなのだろうと、心配すると同時に、何が起きているのか気になりました。しかし、特に気になるような出来事がある様子でもなく、毎日平和に暮らしている様子です。これは、私の勝手な解釈で、本当は違っているのかも・・・?

 自分が10歳のころを想像しました。毎日学校に行き、それなりに楽しく暮らしていたとは思いますが、「毎日が楽しい」なんて感じていた記憶はありません。そんな時に「何をしているときが楽しい?」と聞かれてもきっと「別に…」と答えに困ったように思います。しかし「なんか知らないけれど毎日イライラする」という気持ちになったこともないような気がします。何か嫌なことがあっても、一晩寝れば忘れてしまう程度だったような気がします。なんとなく時が過ぎ、特に何事もないかのように過ぎた日々だったような気がします。「なんか知らないけれど毎日イライラする」とはどういうことなのか、孫に詳しく聞きたいけれど、どう聞けばよいのかわからず、そのまま会話は終わってしまいました。

 今の社会では、「イライラしている人がたくさんいる」と思われるような出来事や事件が多く目につきます。そしてそれは、働き盛り、子育て中の世代、などストレスがたくさんあるだろうと思われる人たちだけではなく、若者や、幼い子どもたちの中にも「イライラの空気」が蔓延していると私は、感じています。最近、毎月一回塾仲間と話をすることがあるのですが、「今の子どもたちは疲れているよね」という話をすることがよくあります。一体子どもたちの生活はどうなっているのだろうと思います。部活動が忙しい、宿題がたくさん出て忙しい、などそれなりに想像される事があるのですが、元気いっぱいの子どもたちも少なからずいますので、みんなが疲れているとは言えません。

 疲れている子どもたちは、一体何に疲れているのか?話し合っていてもなかなかわかりません。私が出会う子どもは孫と、教室で出会う生徒ですから、せいぜい10数人程度です。実際のことはわかりませんが、時々私の目の前にも、疲れた子どもがいます。その疲れた子どもに「何をしてあげればよいのか」私は、考えなければいけません。疲れがたまると「イライラ」して、できることもできなくなることがよくありますから、私はやみくもに「頑張れ」と言わずに、疲れていることを受け入れ、疲れが少なくなるよう、いろいろ会話をして、いま困っていること(わからないこと)の助けになるような話をしています。わたしは、教える人より、そばに寄り添う人が、必要な気がしています。
posted by 池見 at 17:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月26日

「よーく考えろ!」・・?

 私は、「勉強はわかるように教えれば、誰にもわかるもの」と思ってずっとやってきました。ですから生徒の「わかんない!」という言葉に対しては、「わからないのは、なんなのか?」いろいろ想像しながら、「どう教えればわかるのだろう」といつも考えてやってきました。つまり、私はわからないという事には理由が必ずあるし、そこを説明すればわかるはずと思っていたのです。

 そして、教えているときに「よーく考えろ!」という言葉をよく使います。一方的に答えを教えるのではなく、答えにたどり着く道筋を見つけ、理解してほしいから言うのですが、ある時「僕は、塾でも学校でもよく、考えろ!と言われました。いつも、自分なりに考えていたけれど、お前は考えていないと、怒られてきました。先生は「考えろ!」と言うだけで、どう考えたらいいのか教えてくれたことはありませんでした」「一体どう考えればいいんですか?」言われました。

 確かに、どう考えるかは言わないことがほとんどです。こういう場面で想像できるのが、「先生は何を言っているのだろう?」「きっと何か答えなければ怒られるんだろうな」「とりあえずこうかな?と思ったことを言ってみよう」などなど、今考えなければいけないテーマからどんどん外れてしまうこともあります。こういう状況の時は私も「何も考えていない」とか「下手な考え休むに似たり」などと言っていました。

 彼の言葉は、私に「考える」ということを考えてみるきっかけを作ってくれました。人間は、考えているうちにふと目に留まったことや、思ったことをつらつら思って、道筋から外れてしてまうこともよくあります。そんな時も、その人にとっては考えていることに違いがありません。しかし私が「考えろ」と言っているのは、道筋を気にせず、自由に思いつくままに考えるということではなく、「あなたが聞いていることは、道筋が決まっていることなのだから、その道筋を想像しなさい」ということだったと、気が付いたのです。生徒のこういう気持ちに気が付いたとき、これまで、私は、教える側からばかり考えていたことに気が付きました。わからない理由は人一人違います。そして「わからない」と思っているときの心の様子も一人一人違うのです。生徒のほうから質問されたはずなのに「本当は今、こんなこと(勉強)をやりたくないと」思っていたり、質問した途端に、違うことに気がついて、話が聞こえていない時もあります。

 教える側と教わる側との間に、こんなすれ違いが起きているのに、一方的に教える側が「わからない理由を決めつけ」「こうやって教えればだれにでもわかるはず」と決めてかかっていることが多いことに気が付きました。今年は、教えるという行為の中で、生徒に向かって「自由に考えよう」と言っていながら、教師がすでに知っている、ある前提の道筋に生徒を従わせることだったということに気が付いた年でした。

posted by 池見 at 18:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月27日

誰も教えてくれない「休み方」

 10月のお知らせで「睡眠」について書きましたが、私が塾を始めて気が付いたことで、それ以来ずっと気になっていることがあります。それは、大人たち(学校・部活動・親)は、何か(勉強や、部活動、スポーツ、音楽など)をすることは勧め、頑張ることは教えてくれるけれど、「休み方」はだれも教えないということです。疲れた時には「休む」ことより、「もっと頑張れ!」「甘えるな!」「自分に負けるな!」などと、もっと頑張り続けることを勧めることがほとんどです。

 一人一人の大人は、その子のことを思ってアドバイスしているのですが、アドバイスを聞いている子どもは一人です。大人の人数分だけアドバイスを聞いてしまうと、どの子も、どのアドバイスにもきちんと答えなければいけないと思っていることが多いですから、やることが増えてゆき、時間の余裕は少なくなります。私は生徒たちから、「試験に間に合うために数学の勉強はどうすればいいですか?」と聞かれることがよくあります。その生徒の実力と、目標について知らないと適切なアドバイスができません。しかし、それがよくわからないまま話をしなければいけないことがよくあります。そんな時は、一般論として試験までにやらなければいけないと思われるテキストの量と、試験までの時間を考え、一日これくらいはしなければいけないという一つの基準を示します。

 それはアドバイスというより単純に日割り計算です。ですから、誰にでも答えることができるアドバイスです。その生徒は、同じ相談を受験科目の数だけ教師に相談しています。どの教師もその人なりに生徒の様子を考え親身に答えてくれているように私にも見えていますが、全ての科目のアドバイスを聞き終わったとき、生徒の勉強の量・時間・配分、を生徒の学力や、生活状況に応じてプランをたてるひとはいません。生徒一人で考えなければいけないのです。プランをたてる時に大切なのは、自分の体・心にあったペースを見つけることです。いくら考えたってわかりませんし、成功者の受験勉強のやり方を教える本をいくら読んだって自分に合ったプランは見つかりません。どれも一つのプランであり、仮説でしかありませんから、勉強をしながら自分にあったペースを感じ取ってゆくしかないのです。

 ペースづくりで、大切なのは「体を休めるペース」です。しかし、「休むこと=怠けている」という空気がありますし、自分も「休む=サボっている=だらしない自分=目標に届かない」と思いがちです。しかし、疲れているときには、どんなに頑張っても、集中できず、体に入ってきません。効果のない時間が続きます。度が過ぎると、体に異常が起きます。頑張っているのに効果が上がらない悪循環が始まります。大人たちもみんなこういう経験をしてきたはずですが、「休み方」を教えることができません。自分の答えは体と相談しながら答えを見つけるしかありません。
posted by 池見 at 16:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする